幸せであればそれでいい

自分の幸せを見つけるためのエビデンスと模索の旅

備蓄というときめき (kinoco)

masuken さん

おはようございます

 

「普通というときめき」

masuken さんの中で

今「ふつう」「特別じゃない」

ということがテーマでいらっしゃるのを感じました。

 

 

わたしも最近

「特別」だと思っていたことが

「ふつう」に移行したことがあるので

ちょっと今日は長くなりますが

書こうと思います。

 

 

タイトルつけるならこれかな!

「備蓄というときめき (笑)」



今まで備蓄ということをあんまり考えずにいたわたしでしたが、

今回のコロナを通じて、新しい感覚で「備蓄」ということを意識できたように思うのです

 


ABC、BBC、CNN世界のニュースがYouTubeで観られる時代になって、

言語はよく分からなくても、映像から伝わってくるものをわたしなりに感じて、

そしてやっと、備蓄に対する自分なりのスタイルをちょっぴり心得た感じがしています

 

わたしの中では

備蓄は「特別」なものでした

 

 

恐らく、今までわたしが持っていた

「備蓄」という概念は、

「不安」や「恐れ」という心理と直結したもので、普段の生活からは

「切り取られたもの」になっていました。

 

 

でも今回、

火や電気やガスが使える中での

世界中のロックダウンを観て

「あー 備蓄って、いろんなシチュエーションを想像して普段の延長線上で備蓄することもアリなんだ」

と気づいたのです。

 

 

 

「ふつう」と共にある備蓄のスタイルで

わたしがやりはじめたことを具体的に言うと

 

ピクルスなど瓶詰めで保存食を作っておく

パンやお菓子は材料を常備する

そのためにはできる範囲でいいので

簡単なパンやお菓子の作り方がわかっている

トイレットペーパーが底を尽きた時用に

着古した服をはぎれにしておく

などなど

 

 

備蓄の量についても

自分たちが生きるための必要最低限の量はどのくらいかを知ることから始まり、その基準をもとに普段から考えて買い足しながら生活する。

自分の量を自分で把握するというのは、生きていく上でとても大事なことだと

わたしもあらためて気づきました。

 

 

備蓄と買い占めは違うし

みんなの備蓄のスタイルと概念が

普段着のような感覚になれば

緊急時のスーパーマーケットの大混乱も減るかもしれません

 


そして備蓄は

「自分なりの」「我が家スタイル」があればいい。

そう、備蓄は「自分なりのスタイル」の確立にも目を向けさせてくれます。

 

 

 

これは

ふだんの教育

にも活かせる発想じゃないか?

とも思うんです。

 

 

備蓄や防災というテーマは

いわゆる「死」という概念と直結しています。

 

わたし達が

備蓄や防災を「ふつう」に考えることは、

自然と「死」という概念と向き合うことにもなり、

「死」と向き合うということは

「今」をどう生きるかという

「生」の問題にもつながります。

 

 

教育は

「生き方」を考えるための学びの場ですから、そこから掘り下げて考え学ぶことは

生きた学びにつながりやすいのではないでしょうか?

 

 

あら!

気づいたら

「備蓄というときめき」から

教育までたどり着いてしまいました 笑

 

 

わたしの究極の理想は、

お庭に畑があって、

生活のための食べ物の半分は自給自足できて、いざとなったら困った人にも分けられる

そんな生活です

 

 

備蓄から

夢や教育を考えるに至るとは思ってみませんでしたが

自分の夢とか生き方まで考えるのは、本当ワクワクしてくるし、

恐怖や不安とたたかう的なことよりも、

アフターコロナは

そういうことを考えながら生きる(教育に取り入れる)と

次の時代につながるのかもなぁと

思ったのでした^ ^