私の職場のボスが、このようなことを言っておりました。
「普通」は「ときめき」のある言葉だ、と。
今回のコロナの対応の中で、休校を余儀なくされたことによって
あらためて「普通であること」「普通でいること」について考えることができました、と。
そうですね。今「普通」であることが、どんなに豊かなことかということがわかりますね。
そういえば、心理学で「吊り橋効果」というのがあります。
高くて怖い吊り橋を一緒にわたると、相手に好意を持ってしまうというもの。
つまり、ドキドキする吊り橋を渡ったあと、「普通」の陸地に戻ったら、一緒にいた相手に「ときめき」をもってしまう、ということなのですね。
「普通」とは、「ときめき」である。
子どもの才能を伸ばす教育。
発達障害があっても、東大に入れました。
身体障害があっても、パラリンピックに出られました。
知的障害があっても、芸術家になれました。
それはそれですごいけど、みんながすごくなくていいすごくなくていいかもしれません。
子どもの才能を「普通」に伸ばす、その方が「ときめき」があるのではないかな。